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広島地方裁判所 昭和63年(行ウ)12号 判決 1990年8月30日

原告

藤井三男

右訴訟代理人弁護士

沖本文明

被告

三原労働基準監督署長

川谷宏

右指定代理人

見越正秋

外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五九年八月七日付けでした労働者災害補償保険法による休業給付を支給しない旨の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、山口県岩国市内に事務所を有する建設業竹内組こと竹内徳助(以下「竹内組」という。)に鳶工として勤務し、昭和五七年一月二八日から広島県竹原市忠海町西長浜三〇三五番地電源開発株式会社竹原火力発電所の工事現場(以下「本件工事現場」という。)で、竹内組の現場責任者兼鳶工として足場の設置、解体工事に従事していた。

2  原告は、昭和五七年三月一四日午前四時三〇分頃、肩書住所地の自宅をマイクロバスを運転して出発し、国道二号線を東方に向かって走行中、同日午前五時二五分頃広島県佐伯郡大野町三四六九番地一〇先路上において、折からセンターラインを超えて対向してきた大井敏運転のマイクロバスと正面衝突し、この事故(以下「本件事故」という。)により右膝蓋骨及び右両下腿骨開放性粉砕骨折等の傷害を受け、同日から昭和五九年一月三〇日まで厚生連広島総合病院で入、通院治療を受けて療養し、同日症状固定の診断を受けた。

3  原告は、右療養のため昭和五七年三月一五日から昭和五九年二月二九日までの間休業するのやむなきに至ったものとして、同年三月一三日、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「法」という。)二二条の二第一項に基づいて通勤災害による休業給付の請求(以下「本件給付請求」という。)をしたが、被告は、本件事故による負傷は通勤災害に該当しないとして、同年八月七日付でこれを支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)を行った。

4  原告は、これを不服として、広島労働者災害補償保険審査官に診査請求をしたが、昭和六〇年六月二四日付けで棄却され、さらに労働保険審査会に再審査請求をしたが、昭和六三年三月一六日付けで棄却され、右決定書は、同年四月一日原告に送達された。

5  しかし、本件事故による負傷は、本件工事現場への通勤途中で発生した事故によるものとして法七条一項二号の通勤災害に該当するか、又は原告の業務に起因するものとして同項一号の業務災害に該当するものであり、本件処分は、保険事故の認定を誤った違法があるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5は争う。

三  被告の主張

1  本件事故に至るまでの経緯

(一) 原告は、昭和五七年一月二七日から配下の作業員とともに、本件工事現場の約二キロメートル東方にあるプレハブ二階建作業員宿舎(以下「本件宿舎」という。)で起臥寝食し、作業員を竹内組から供与されたマイクロバス(以下「バス」という。)に同乗させて本件工事現場に出勤し、午前八時から午後五時まで作業に従事した後、出勤時と同様、作業員をバスに同乗させて本件宿舎に戻っていた。

(二) 原告は、同年三月一三日午後六時頃、バスで本件宿舎を出発し、自宅のある岩国市方面へ向かい、午後一〇時頃山口県玖珂郡周東町所在の自宅に到着した。

(三) 原告は、本件工事現場に出勤する前に朝食をとるため本件宿舎に向かおうとして、翌一四日午前四時三〇分頃、バスで自宅を出発し、国道二号線を東方に向かって走行中、本件事故に遭遇したものである。

2  本件処分の適法性

(一) 法七条一項二号は、いわゆる通勤災害を「労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡」と規定し、同条二項は、「通勤」を「労働者が就業に関し、住居と就業の場所との間を合理的な経路及び方法により往復することをいい、業務の性質を有するものを除く」と定義している。

そして、右の「住居」とは、一般に、労働者が居住して日常生活の用に供している家屋等の場所で本人の就業のための拠点となるところを指し、労働者が家族とともに居住してそこから出勤することとしている場所がこれに当たることはいうまでもないが、家族の居住する場所と就業場所が離れているため、労働者が就業場所付近に借家をしたり、事業主の設置した宿舎に寝泊まりして、通常そこから出勤することにしている場合には、右宿舎等が「住居」に当たる。

このように、「住居」に該当するか否かは、当該労働者が当該場所に継続して居住し、日常生活を行っていた実態が存在するかどうか、また、当該場所と就業場所との距離、所要時間、交通手段、経費等からみて社会通念上、当該場所が就業のための拠点となり得る場所であり、その実態を備えているかどうかによって判断すべきものである。

(二) ところで、原告は、前述のとおり、本件宿舎を日常の起臥寝食の場としており、自宅には毎月三回程度休日を利用して帰っていたのみであることに併せて、自宅から就業場所である本件工事現場までの距離が約一五〇キロメートルと隔たっており、バスによる所要時間も優に三時間を超えると認められることを考慮すると、本件宿舎のほかに原告の自宅を就業のための拠点と認めることは到底できず、法七条二項にいう「住居」に当たるのは本件宿舎のみであるから、本件事故をもって通勤経路において発生したものということはできない。

また、本件事故は、原告が自宅から就業場所へ直行するのではなく、本件宿舎へ戻る途中に起こったものであり、自宅から本件宿舎までの間を通勤経路とみることができないことは明らかであるから、いずれにしても、本件事故による負傷は、通勤災害に該当しない。

(三) なお、本件訴訟は、被告のした通勤災害に関する保険給付である休業給付の不支給決定の取消しを求めるものであって、業務災害に関する保険給付である休業補償給付の不支給決定の取消しを求めるものではないから、本件事故による負傷が業務災害である旨の主張は、主張自体失当である。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張1の(一)の事実は認める。同(二)のうち原告が本件宿舎を出発した時刻は否認し、その余の事実は認める。出発した時刻は午後七時頃である。同(三)の事実は認める。

2  同2の(一)のうち法の解釈に関する主張は争う。住居に当たるかどうかは、単に時間、距離、経費、場所等の物理的事実のみで判断するのではなく、労働者救済の立法趣旨を踏まえて判断すべきである。

同2の(二)は争う。本件宿舎は、本件工事現場の労働者の本来の生活の本拠ではなく、元請、下請等の建設資本家が労働力確保と請負業務遂行のために、臨時に設置した雇用者側の施設である。右施設は、労働力回復のための家族との団欒、憩い、子供の養育、夫婦の和合の場とは程遠いものであり、福祉、教養、人間性等の生存権的な配慮のない生活環境の劣悪な一時的な滞在施設にすぎない。被告の主張は、家族から離れてこのような施設に寝泊まりすることを余儀なくされる建設労働者の実態を理解しないものであって、建設労働者の個人の尊厳と人格を無視するものである。

本件工事現場は、原告の自宅から自動車で二時間半の距離であるから、自宅から通勤可能な場所であり、原告は、現に日曜日と毎月一七日の給料日には、その前日の退勤後、バスで自宅に帰り、勤務日の早朝に自宅から本件工事現場に出勤していたのである。したがって、原告の本来の住居は、妻子が居住している、通勤可能な自宅であって、自宅が休息、睡眠、栄養等労働力の回復に最も適した場所であり、健康で文化的な勤労生活を確保する上で不可欠な場所であったから、自宅こそが就労のための拠点というにふさわしいものであった。

したがって、自宅こそが就業のための拠点となる住居であり、原告の場合、自宅と宿舎の双方を住居と認めるべきである。少くとも、原告が自宅に帰った時には、自宅こそ住居であり、本件宿舎は、業務遂行のための一時的な立寄場所にすぎない。

同(三)は争う。

本件給付請求は、法に疎い原告が元請企業の協力を得られないまま、時効期間満了の直前になって事実関係のはっきりしないままに、通勤災害による保険給付の請求手続を取ったものであること、通勤災害も業務災害も同じ法七条に規定されており、労働者保護という立法趣旨において何ら異ならず、給付支給請求書の書式もほとんど同じであること等を考慮すれば、保険給付の請求手続において、通勤災害であるか業務災害であるかについて原告に厳格にその法律的選択を要求することは酷である。通勤災害の場合であれ、業務災害の場合であれ、労働者が保険事故による被害の救済を求める意図に何ら違いはないのであるから、請求にとらわれずに広く被災労働者に救済の余地を認めることが法の趣旨に適うというべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、本件処分の適法性について判断する。

1 法によれば、通勤災害とは、労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡をいうものとされ(法七条一項二号)、通勤とは、労働者が就業に関し、住居と就業の場所との間を合理的な経路及び方法により往復することをいうものとされている(同条二項)。そして、昭和四八年の法改正により採用された通勤災害制度は、通勤が就労のために不可欠で、業務と密接な関連性があり、単なる私的行為ではないことに着目し、その途上での災害について業務災害に準じた保護を与えるという趣旨で設けられたものであること及び右各規定の趣旨に鑑みると右住居とは、労働者が居住して日常生活の用に供している家屋等の場所で、本人の就業のための拠点となるところをいうものと解するのが相当であり、これに該当するか否かは、当該労働者が当該場所に継続して居住し、日常生活を行っていた実態が存在するかどうか、当該場所と就業場所との距離、所要時間、交通手段、経費等からみて社会通念上、当該場所が就業のための拠点となり得る場所であり、その実態を備えているかどうかによって判断すべきものと解される。

2  これを本件についてみるに、原告が竹内組に鳶工として勤務し、昭和五七年一月二八日から本件工事現場において現場責任者兼鳶工として足場の設置、解体工事に従事していたこと、原告が昭和五七年一月二七日から作業員とともに本件工事現場の約二キロメートル東方にある本件宿舎で起臥寝食し、竹内組から供与されたバスに配下の作業員を乗せて本件工事現場に出勤し、午前八時から午後五時まで作業に従事した後、作業員をバスに乗せて本件宿舎に戻っていたこと、原告が昭和五七年三月一三日夜帰宅し、翌朝バスで本件宿舎に向かっていた途中で本件事故が発生したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、以下のとおり認められる。

(一)  原告は、勤務先の竹内組の指示により、昭和五七年一月二八日から本件工事現場の作業に従事するため、前日の二七日に本件工事現場の作業員用に設置された本件宿舎に配下の作業員とともに入居した。原告の妻子は、山口県玖珂郡周東町の自宅に居住しており、原告は、右入居に当たり、住民登録の移動はせず、自宅に置いたままにしており、また、右入居の際には、電気こたつと着替などの身の回りの物を持ち込んだ程度であった。

(二)  本件宿舎は、プレハブ二階建で六棟からなり、そのうち四棟が入居者の寝泊まりする宿舎であり、他が食堂及び風呂場であって、便所は、戸外に簡易式のものが設けられており、洗面所は、戸外に簡易な屋根付きのものが設置されていた。入居者が寝泊まりする棟は、一つの階に廊下を挟んで各三つの部屋があり、一室が六畳程の広さの畳敷きの部屋で、窓があり、入り口には鍵付きのドアがあり、一部屋に三人ないし四人が生活するようになっていた。風呂場は、入口にガラス入りのドアがあり、中には、脱衣場と大小二つの浴槽があり、一度に一〇人位が入浴できるようになっていた。本件宿舎には、数台の洗濯機が備え付けられ、入居者各自がこれを利用して洗濯をすることができ、食堂にはテレビ、電話が備え付けられ、各自がこれを利用して電話を掛けることができるほか、外からの電話を取り次ぐことも可能であった。入居者への郵便物も各入居者宛に配達され、新聞も食堂で読むことができた。

当時、本件宿舎には約一〇〇名の入居者があり、原告は、竹内組の配下の作業員とともに三人で二階の一部屋に入居し、室内に原告が持参した電気こたつを置いて起居していた。入居者に対しては朝夕の食事が食堂で提供されており、原告は、毎朝食堂で朝食をとり、その後、竹内組から供与されたバスに配下の作業員六名を乗せ、これを運転して午前八時の始業時に間に合うように本件工事現場に出勤し、午後五時の終業後、出勤時と同様、右作業員をバスに乗せて午後五時半頃宿舎に帰っていた。原告は、竹内組の現場責任者として、供与されたバスを保管、管理し、これにより作業員の搬送を行い、また、作業員の出勤状況を確認して出面表に記帳し、これを定期的に竹内組に報告するほか、本件工事現場で作業の段取りの打合せをしたり、作業員に作業の指図をするなどの業務を行っていた。

入居者は、宿舎では入浴したり、食事をしたり、洗濯等身の回りのことをするほか、テレビを見たり、雑誌を読んだり、同僚と酒を飲んだり、花札やマージャン等の娯楽に興じるなどそれぞれ自由に時間を過していた。

(三)  本件工事現場では、日曜日と給料日の毎月一七日が一応休日とされ、原告は、休日の前日に溜った洗濯物を持って自宅に帰ることにしていたが、工事の関係で休日出勤を余儀なくされることがあり、原告が本件宿舎入居後、本件事故までに自宅に帰ったのは、事故の日の前日を除き、二月六日(土曜日)、同月一六日(火曜日)、同月二七日(土曜日)の三回だけであった。その際は、夕方仕事が終わった後、本件宿舎で夕食をし、独身者一名を除く他の配下の作業員とともにバスで本件宿舎を出発して帰宅し、竹内組に必要な報告をしたり、休日を家族とともに過し、翌々日の早朝午前四時三〇分頃バスで自宅を出発して本件宿舎に向かい、途中で配下の作業員を同乗させ、本件宿舎に着いてから朝食をとり、地下足袋に履き替える等身支度をし、配下の作業員をバスに乗せて本件工事現場に出勤していた。

(四)  原告がバスで自宅に帰る際の経路は、竹原市から国道四三二号線を北方に進み、同二号線と交差した地点から同二号線を西方に進み、途中西広島バイパスを通るものであり、自宅から本件宿舎に向かう際の経路は、同じ経路を逆に進むものであった。右経路の場合、距離は、片道約一五〇キロメートルであり、途中に数箇所の渋滞箇所があることから、所要時間は、早朝に本件宿舎に向かう場合でも三時間、ラッシュの時間帯に当たる夕方帰宅する場合には四時間であった。

(五)  本件事故当時において、本件工事現場での就業後、国鉄を利用して原告の自宅に帰る場合、忠海駅発の最も早い下り列車は、午後五時四四分発の広島行列車であるが、これに乗ると、広島駅及び岩国駅でそれぞれ乗り換えた後、原告の自宅の最寄り駅である周防高森駅に到着するのは午後一〇時過ぎであり、当日中に自宅に帰ることが可能である。しかし、自宅を出発して午前八時の始業に間に合うためには、遅くとも忠海駅に午前七時四〇分に到着する広島駅発午前五時四八分の糸崎行上り列車に乗らなければならないところ、右時刻までに広島駅に到着する岩国方面からの列車はなかった。

自動車と国鉄を利用する以外に、自宅と本件工事現場を往復する交通手段は存在しなかった。

(六)  原告は、昭和五七年三月一三日、配下の作業員の谷上から、同僚の藤井が翌日用事があり、仕事を休むので、同人を岩国の自宅まで送って行くため、バスを貸してほしいと頼まれた。翌一四日は、日曜日であったが、原告とその配下の作業員は、出勤を指示されていたので、原告は、帰宅する予定はなかったが、谷上にバスを貸した場合、同人が翌朝間違いなくバスを返すかどうか不安があり、また、二月二七日以来帰宅しておらず、洗濯物も溜まっていたので、谷上らを連れて帰宅し、翌朝谷上と一緒に戻ることにした。そこで、原告は、三月一三日午後六時頃谷上及び藤井とともにバスで本件宿舎を出発し、午後一〇時頃自宅に着いた。

原告は、翌一四日午前四時三〇分頃バスで自宅を出発し、途中で谷上を同乗させ、本件宿舎で朝食をとり、身支度をした上、他の配下の作業員をバスに乗せて本件工事現場に出勤しようと考え、いったん本件宿舎に向かうため、国道二号線を東進中、本件事故が発生した。

3 右認定の事実によれば、原告は、昭和五七年一月二七日に本件宿舎に入居したが、その際、住民登録は、自宅に置いたままにしており、また、本件宿舎に運んだのは、身の回りの物程度であり、休日の前日の就業後に洗濯物を持って自宅に帰り、休日を家族とともに過ごした後、休日の翌日の早朝本件宿舎に寄った上、本件工事現場に出勤していたことが認められる。しかしながら、前記認定の原告の本件宿舎における生活状況に照らすと、原告が本件宿舎に入居してから本件事故発生までの約一箇月半の間に自宅に帰ったのは、本件事故の時を含めて四回のみであって、原告は、本件宿舎に継続的に居住して日常生活を送り、日常的には、本件宿舎から就業場所である本件工事現場に出勤し、就業後、本件宿舎に戻っていたことが認められる。その上、右認定の原告の自宅と本件工事現場との距離、利用可能な交通機関で通勤した場合の所要時間等に照らすと、原告の自宅から本件工事現場に日常的に通勤することは無理であると認められる(原告本人も、毎日通勤することは無理であると供述している。)。そうだとすると、原告の就業のための拠点としての住居は、本件宿舎であると認めるのが相当であり、原告が自宅に住民登録をし、休日に自宅に帰り、自宅から本件宿舎を経て本件工事現場に出勤していた事実があったからといって、自宅を就業のための拠点と認めることは困難である。

4 原告は、自宅と本件宿舎の双方が「住居」であると主張するところ、通勤の状況によっては、就業場所近くの宿舎のほかに自宅も「住居」と認められる場合があり得る。しかし、これは、例えば、通常は、家族のいる自宅から出勤するが、就業場所の近くに別に宿舎を借りていて、早出や長時間の残業の場合には、当該宿舎に泊り、そこから通勤する場合などのように、自宅と就業場所との往復行為になお十分に継続性、反復性があると認められる場合でなければならないと解される。

ところが、前記認定によれば、原告の自宅から本件工事現場に日常的に通勤することは無理であり、そのために原告ら作業員は、就業場所の近くに設けられた本件宿舎に入居していたのであって、原告は、本件事故の時を除き、休日を利用して三回自宅に帰っているが、自宅からの日常的通勤は無理であったことや帰宅回数等に照らし、原告が自宅に帰った行為は、帰省とみるべきであって、自宅との往復行為に、継続性、反復性を認めることは困難である。したがって、本件宿舎のほかに原告の自宅を「住居」であると認めることはできないといわざるを得ない。

5  原告は、本件宿舎の生活環境が劣悪であり、就労のための拠点にふさわしくないと主張するが、就労のための拠点であるかどうかは、労働者が居住して日常生活の用に供している家屋等の場所が、そこから労働者が就業の場所との間を往復しているという場所的関係にあるかどうかによって決定されるのであって、その場所の生活環境が劣悪であるかどうかは、関係のないことであるから、原告の右主張は採用しない。

6 以上のとおりであって、原告の自宅は、法七条二項にいう「住居」に該当しないから、本件事故をもって通勤経路において発生したものということはできず、原告の本件事故による負傷を通勤災害であると認めることはできない。

7  なお、原告は、本件事故による負傷が業務上災害にも当たると主張するが、原告が法二二条の二第一項に基づいて通勤災害による休業給付の請求をしたものであることは当事者間に争いがない。そして、通勤災害による休業給付が法二二条の二の規定により労働者の請求により行うものとされているのに対し、業務災害による休業補償給付は、法一四条の規定により支給するものとされているのであって、昭和四八年の法改正により採用された通勤災害制度は、一般の業務災害とは、別建ての制度として取り扱われている。原告は、通勤災害による休業給付の請求をしたのみで、業務災害による休業補償給付の請求はしておらず、右規定及び制度の趣旨に照らし、両請求を彼此流用することは許されないものと解すべきところ、被告は、原告のした通勤災害による休業給付の請求に対し本件処分をしたのであるから、本件事故による負傷が通勤災害でない以上、たとえそれが業務災害であったとしても、本件処分がそのために違法となることはない。したがって、原告は、本件事故による負傷が業務災害であることを理由として本件処分の取消しを求めることはできないものというべきである。

8  以上の説示に照らせば被告には、保険事故の認定を誤った違法はなく、本件処分は、適法であると認められる。

三よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高升五十雄 裁判官青柳勤 裁判官蓮井俊治)

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